You met. 




 山間のキャンプ場に設けられたバンガロー。
 それらへと続く小路を脇に逸れると、先客がいた。
 夜露に濡れた下草を踏み、月を見ている彼女に近付く。

「何をしてるの」

 声をかけた僕を見て、麻衣が悲し気に瞳を伏せた。



「冷たい口調でも、気遣う優しさがあったの」

 麻衣がナルを想って泣いている。
 軽い調子を装い、どちらへ告白したのか聞くと、見開かれたアンバーの瞳から大粒の涙を彼女は零した。

 その場に蹲り、声を上げて泣き出した彼女を見て、自分が選ばれなかったことを悟る。
 僕に向けられていた好意が、全てナルのものだと分かり、寂しい気持ちになるけれど、その反面で嬉しさも確かに存在していた。
 彼女に選ばれると期待した一方で、弟を好きになった麻衣への好感が、僕の中で入り交じる。

 麻衣がもし僕を選んでいたのなら、今までと同様に、すぐ別れただろう。
 歴代の彼女たちのように、麻衣とも楽しい時を過ごすけれど、僕の唯一にはなれないと知って、自ら去っていくのだ。

 いつものパターン。
 お決まりのコース。

 だが、彼女はナルを選んだ。
 すでに死亡している僕の弟を。




 ナルが失踪したと知り、日本へ探しにやってきた。
 すぐには見つからないだろうと、覚悟はしていた。
 僕には、ナルのようなサイコメトリの能力はない。
 だが、代わりに霊を見ることが出来る。
 
 行方不明になってから一度として、ナルの霊に会ったことはない。
 不安な気持ちで落ち付けない自分へ、弟は生きているはずだと言い聞かせる。
 何度もそう口にして気持ちを安定させてから、連絡がつかない理由を考えたが、嫌な想像ばかり浮かんでしまう。

 それでも、消息を絶った日本へ行けば、僕らの間にある何かしらの力が働いて、ナルを見つけ出せるだろうと思っていた。

 その報いを、今受けているのだろうか。

 何の手がかりも得られないまま一年以上が経過し、焦燥感に駆られていた時に受けた依頼で、彼を見つけた。
 実際には調査とは無関係な場所だったが、とある土地に彼は埋められていたのだ。
 白骨化している死体を彼だと判別できたのは、着ていたジャケットのポケットに入っていた小さなキーホルダーだった。
 弟が日本へ行く前に、僕が彼に与えたもの。


 * * *


「ねぇ、見て。青い小鳥だよ」

 その当時嵌っていたゲームのレアキャラ。
 レアゆえに、販売されているグッズも希少だった。
 幸せの青い小鳥と呼ばれ、持っているとゲーム内ではチートキャラになれる。
 そのキーホルダーを高々と手に持ち、ナルへ見せた。

「まだ、そんなことをしているのか」

 ゲームに対してなのか、僕が小さい子供のように燥いでいることへなのか。
 そのどちらでもあるように呆れた様子で、ナルが僕を見ている。
 だから、悪戯心と餞別の気持ちを込めて、次の言葉を口にした。

「ナル、あげる」
「いらない」
「持ってなよ。幸運の青い小鳥なんだから」

 着ていたジャケットのポケットに、押し込む。
 抗うのを諦めたナルが、しぶしぶといった態で、入れたモノのカタチを確かめるように、ポケットの上に手を置いた。
 それが、僕の気持ちを受け入れてくれたように思えて、嬉しさに声が弾む。

「お土産はねぇ」
「僕は、遊びに行くわけじゃない」

 ピシャリと冷たく撥ねつけられて、ムゥと口を尖らす。

「でも、日本へ行くんでしょう。帰ってくるときに空港で買ってくればいいから。あ、面倒なら日本から空輸で送ってよ」

 お店で発送の手続きをとればいいのだ。
 それが、ナルに出来るのならだけど。
 どう、出来る?と目線で問えば、

「そちらの方が、面倒だ」

 嫌そうに、吐息を付かれた。

「でしょう。それなら、帰るときに買ってきて」

 カゴに盛り沢山の商品を入れて、料金を払い配送手続きをするだけなのに、それを断ったのだ。
 これくらいはいいでしょうと、おねだりのキスを頬へすれば、硬直した弟は文句を押し出せない。
 勝ったとニンマリ笑って、欲しいものを一つずつ挙げていく。

 大抵がお菓子の名前だ。
 食べたいものが目白押しで、どれか一つには絞り切れないから、ナルが目に付いたものでいいよと言い添えておく。

「時間があったら、買っておく」
「ありがとう」

 うん、今言った中の一つくらいはお土産に買ってきてもらえそうだ。
 ポケットに入れたキーホルダーの効果が早速現れていると、僕は、そのとき喜んだ。



 錆びついたそれを手にして、咽び泣く。
 イギリスで2年前ブームになっていたゲームは、この日本では流行らなかった。
 だから、これを持っている人は、非常に少ないだろう。
 ましてや、こんな場所に埋められている遺体のポケットに入っている確率は、更に低い。

 DNA鑑定すれば、誰なのかハッキリと分かるが……。
 目の前にあるものが弟だと確信している僕に、そんなものは必要なかった。



 *  *  *


「ジーン」

 名を呼ばれて、閉じていた瞼を押し開ける。
 薄ぼんやりとした視界に、チームを組んでいる女性の顔が見えた。

「まどか」

 掠れた声で名を呼べば、彼女がホッとした笑顔を浮かべた。

「よかったわ、目が覚めて」

 そこで始めて、自分が見知らぬ室内で横になっているのに気が付いた。



 調査先での交霊中、しばらく意識を失っていたと、まどかに言われた。
 ナルが行方不明になってから数年が経つも、いまだ、生死は不明だ。
 最後に消息を絶った日本にも、僕は何度か訪れた。
 リンという保護者付きで、行ける場所も時間も限られてはいたが、それでも可能な限りナルの行方を追った。

 一向に手がかりすら掴めず、時だけが徒に過ぎていく。

 ナルがどこにいるのか分からない不安を抱え、それでも、僕は生きて行かなければならない。
 僕同様に心配している両親の前では、今まで通りの生活を心がけてきたけれど、無理がたたった様で、交霊中に意識が引っ張られた。

 そこで見た夢で、僕はナルを発見したのだ。





「ジーン、それは夢よ」

 椅子に座っている彼女に、僕は詰め寄る。

「でも、まどか。夢にしてはハッキリとしていた。協力者の名前もアルバイトの顔も、構えた事務所の場所もはっきりと覚えている」

 忘れていない。
 覚えている。
 名前も顔も、事務所の外観や室内の様子。
 そして、あの彼女の涙さえも記憶している。

「何度か、日本へ行ったから、土地を記憶しているのは分かるわ。でも、その人たちは実際にはいないのでしょう」

 現実味を帯びた夢に引きずられ、ネットで人名検索するも、ヒットしたのは一人だけだった。

「原真砂子は実在している」
「彼女は、テレビに出るほど有名ですもの」

 困ったように微笑するまどかに、僕は尚も言い立てる。

「他の人だって、実在するはずだよ」

 原真砂子がいるのだ。
 ぼーさんだって、安原さんだって、ジョンや、松崎さんだっているはずだ。
 もちろん、谷山麻衣も存在するはずなのだ。

「そうね、実在するかもしれないわ。でも、ナルが埋められていた場所は、よく判らないのでしょう」
「うん」

 宥めるように微笑んで同意してくれたまどかへ、肩を落として項垂れた。



 道に迷った場所で、僕らは依頼を受けた。
 だから、その土地がどこで、なんという場所なのか、わからないのだ。
 北陸なのは分かるけれど、それが、どの県なのか何処の街なのかも分からない。
 ただ、遺体を見付けた彼女がナルの死を悼んで泣いていたのが、キャンプ場だと強く記憶に残っている。

「麻衣に会えれば、そうすれば、何かが変わるし分かるんだ」

 そう、まどかに告げたら、彼女は寂し気に笑って頷いてくれた。


 僕が見た夢が現実ではないと、まどかが思っていることは、彼女の表情を見ればよく判る。
 夢の出来事へ思いが募るほど、相手が困惑していくのが分かるから、これ以上何も言わないでおく。

 そんな僕へ慰めの言葉をかけるまどかに、心の中で謝る。
 ごめんね。決めたんだ。日本へまた行くよ。
 何度もリンがお目付け役として付いてきたけれど、今度は一人で行きたい。
 ナルと同じ顔をしている僕が単独で日本へ行くのは、周囲や両親が許してくれないだろうと分かっているけれど、今回は彼らも探してみたいのだ。

 見つけ出せない弟と、夢で見た人々。
 そのどちらにも会いたい。

 僕は、そう願い望んでいた。





 そんなことを思いながらも、日々、大学へと通う。
 あの夢を見たいと、毎日、眠りにつくのだが、一向に彼らは現れなかった。
 同じ現場でなら可能かと、まどかを伴い調査先へと再び訪れて交霊を試みたが叶わず失敗に終わる。

 記憶が風化する前に、なんとか日本へ行けないものかと考えていた僕は、講堂から出た廊下の先で光を見つけた。
 夢の中よりも、大人びた表情をしている彼女が、そこにいた。
 肩先に付くか付かないかくらいだった髪は長く伸び、胸元でサラリと揺れている。
 懐かしさを覚えるアンバーの瞳が嬉し気に細めら、呆然と佇む僕を見詰めた。

「麻衣?」

 緊張に打ち震える鼓動を耳にしながら、夢で見た彼女の名をソッと呟く。
 音を発したたことで、目の前の人物が霧散していく不安に襲われる。
 彼女のどんな動きも見逃さないように、ジッと目を凝らす。

「ジーン」

 彼女が僕の名を呼んだ。
 声に味などないのに、甘いと感じた。
 もっと名を呼んで欲しくて、僕は、また彼女の名を呼ぶ。

「麻衣」
「会いたかった、ジーン」

 夢で見た彼女が、とろけるような声音で極上な笑顔を見せる。
 これも、夢なのかと思うくらい、現実感が乏しい。
 今いる場所が、普段から通っている大学の廊下だと視覚から判断できるのに、彼女がいるだけで別世界に思えるから不思議だ。
 そんな彼女が僕に駆け寄り、手を握ってくる。

「見つけた!」

 僕の方が、そう思った。
 彼女の温かい掌が、僕の指先に熱を灯す。
 万感に胸が詰まり、その熱を押し出すように名を呼んだ。

「麻衣」

 出会ってから名前しか口にしない僕に、何?と相手が首を傾げる。
 その仕草は、少女の時となんら変わらなかった。
 夢で見た彼女は17歳。
 ローティーンに間違われそうな身体も表情も、今はすべてが女性らしく花開き、僕の鼓動を高鳴らせる。
 震える唇を何度も舌で湿らせて、一番聞きたいことを麻衣に訊ねた。

「ナルは、何処にいるの」

 道に迷った子供のような声音に聞こえただろう。
 言った僕自身が、そう思うのだから。

「知りたいの」
「うん」

 疑問形で問われ、強く頷いた。
 そんな僕を見て、何かを堪えるように麻衣がギュッと唇を噛んだ。

「ナルに会ったら、ジーンは死んじゃうよ」

 大人びた表情と、子供じみた口調。
 赤く色づいた唇から出た言葉は、こちらの意表を突くものだった。

「いいよ、ナルに会えるのなら」

 死への恐怖で上手く喋れないかと思ったが、すんなりと口から言葉が零れ出て、胸にストンと落ちた。
 正直に言えば、死ぬのは怖い。
 でも、このままナルと会えないのは、それよりも辛かった。

 こちらの真意を確かめるように、麻衣が顔を覗き込んでくる。
 光を湛えるアンバーの瞳には、僕だけが映っていた。
 それが嬉しくて、相好を崩す。

「そんなことを言わないで」

 握られた指に力が籠り、懇願を含んだ声音が耳に響く。
 僕が死なないとナルに会えないと言ったのは、彼女なのに。
 どうして、そんな悲しそうに僕を見詰めているのだろうか。

 僕の望みはただ一つ。
 ナルに会いたい。
 それだけだ。

「あたしの中で生きて、ジーン」

 その声を聴いたとき、心地よい何かに包まれて、フッと辺りが暗くなった。



 *   *   *



「ほら、ナルに似てるよ」
「僕よりも、ジーンに似てる」
「そうかな」

 傍で、誰かが喋っている。
 誰かが、僕の名を呼んだ。
 この声は、

「抱っこしてみる」
「いや、いい」
「そんなこと言わないで、ほら」

 ふわっと身体が浮び、何処かに運ばれる。
 浮遊感が薄れたところで、名を呼ばれた。

「ジーン」

 目を開けているのに、ぼんやりとしか見えないが、それが、僕に語り掛けているのはわかる。
 そして、この声が、誰のものなのかも、僕は知っている。

「会えたね、ナル」

 そう口にしたのに、何故か出たのは子猫のような鳴き声だった。




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